「平穏死」という終わり方をご存知ですか

コップ一杯の水を

無理にいのちを延ばさずに
「平穏死」できたらいいのに

石飛幸三(いしとびこうぞう)という医師による『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか 』(講談社)という本が爆発的に売れたのは、2010(平成22)年のことと。そろそろ10年になります。

この本が、その年のベストセラーにランキング入りしたのが弾みとなったのか、今や「平穏死」という言葉は、「尊厳死」や「自然死」とほぼ同じような意味あいで使われるようになっています。

実は先日、この「平穏死」という言葉の普及ぶりを実感させられることがありました。
親友が、「お義母さんが入院している病院に、今日も見舞いに行ってきたんだけど……」と言って電話をしてきたときのことです。

いつもと違ってトーンがやたらに低く、あまりに神妙そうに話すのが気になり、「お義母さんに何かあったの?」と尋ねてみました。

すると、少しの間の後に、「平穏死っていうのは、まだ法律的に認められていないのかしら」と返ってきたのです。

お義母さんは、軽い肺炎による高熱で入院中です。
彼女は連日見舞っているのですが、義母の病室からエレベーターホールまで行く途中に6人部屋があり、その前を通るたびに、否応なく病室内の様子が目に入ってくるそうです。

6人の患者さんがそろってベッドに寝かされ、点滴のような管(チューブ)につながれている。しかも物音ひとつせず、病室内がシーンと静まり返っている――。

そんな風景を、見舞いに訪れるたびに垣間見ているうちに、「無理にいのちを延ばさなくてもいいのに、平穏死できたらいいのに……」と思うようになったのだそうです。

肉体的にも精神的にも苦痛がなく、
平穏に老境のときを過ごす

彼女は、ごくごく平凡な専業主婦です。
「いのちの終わり」とか「死」とかいうことにとりたてて関心が高いわけでもなく、むしろ「死という言葉を口にするなんて、縁起でもない」と考えるタイプだろうと、かねがね思っていました。

そんな彼女が「平穏死」という言葉を口にしたのは、いささか意外でした。
同時に、「死」ということに関心が高まるなかで、「平穏死」という言葉がこんなかたちで日常的に語られるようになっていることにとても驚きました。

そもそもこの「平穏死」という言葉自体、石飛医師が生みの親だとずっと思っていたのですが、どうもそうではないようです。

この言葉を使い始めたきっかけを石飛医師は、2012(平成24)年に上梓された『「平穏死」という選択』(幻冬舎ルネッサンス新書)のなかで、おおむねこんなふうに説明しています。

石飛医師は、30年余りをいくつかの病院で臨床医として働いたのち、2005(平成17)年の12月から、特別養護老人ホームの常勤医に転身しています。

そのホームで日々多くの高齢者にかかわるなかで、高齢者には、老衰の果てに「無理に生かす」医療処置を受けて施設から施設へとたらい回しにされることなく、苦しまず、自然に、穏やかに最期の時を過ごしてほしいと考えるようになったそうです。

このことをどう言い表したらいいものかと考えあぐねていたときに、相談した知り合いの黒田和夫弁護士が口にされたのが、「平穏死」という言葉だった、と――。

「平穏死」の扉を開くのは、
私たち一人ひとりの意識です

石飛医師が提唱する「平穏死」は、まだ法的に認められているわけではありません。
そのため、もしもの場合にいのちを延ばすためだけの医療措置は望まない、自然に、穏やかに逝きたいと、事前に意思表示していても、それが100パーセントかなう保証はまだないのが、この国の現実です。

しかし、最近になって厚生労働省は、「平穏死」という言葉こそ使っていませんが、「自然死」や「尊厳死」を認める方向に少しずつ変わってきています。

このブログでも再三書いていますが、2018(平成30)年3月に公表された「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」の最終改訂版に、「アドバンス・ケア・プランニング(略称:ACP)」の考え方が盛り込まれたのは、その現れの一つと言っていいでしょう。

アドバンス・ケア・プランニングは「前もってのケア計画」とでも言えばいいでしょうか。
このプランニングで基本になるのは、本人の前もっての意思表示です。

ひるがえって石飛医師は、先に紹介した『「平穏死」のすすめ』の「エピローグ」をこんなふうに締めくくっておられます。

人間の務めの締めくくりとして、私は「平穏死」を提唱します。
「平穏死」の扉を開くのは、我々一人ひとりの意識だと思います。

引用元:『「平穏死」のすすめ』p.245

ここで指摘されている「一人ひとりの意識」ですが、元気なうちから「もしものとき」のことを考え、自らの意思を事前指示として書き留めておくこと――、これが「平穏死」を現実のものにしていく一歩になるのだろうと思うのですが、いかがでしょうか。