「ピンピンコロリ」で逝けたら理想的ですが……

元気

「ピンピンコロリ」を願い
「ぽっくり寺」を参拝する

近年、私たちの国では「ピンピンコロリ」という言葉をよく耳にします。

高齢になっても人の手を借りず自立した生活を送り、多少の持病を抱えながらもピンピンしている人が、ある日突然、格別苦しむこともなくコロリと逝く……。
これがピンピンコロリです。

最近は、「PPK」という略語で呼ばれたりしているようです。
地域によっては、「ぽっくり死」とも。

前日まで元気にしていたのに、翌朝になってみたら冷たくなっていた、という逝き方です。

ピンピンコロリなら寝たきりも認知症も縁がない

これでは「寝たきり」にも「認知症」にもなっている暇がありませんから、家族に介護などで迷惑をかけることも、まずないでしょう。

だから、これこそ理想的な最期だとして憧れる人が多いというわけです。

実際、全国にある「ぽっくり寺」として知られるお寺には、「ピンピンコロリ」を願う年配の参拝者が跡を絶たないと聞きます。

ぽっくり寺を参拝すると大往生できることをうたい文句にした「ぽっくり寺」めぐりのツアーまであって、これがまたなかなか盛況のようです。

こんなエピソードからも、「ピンピンコロリ」悲願者がいかに多いかがうかがい知れます。

「ピンピンコロリ」で逝くのは、
医療が発達した今は簡単ではない

これまで私は、さまざまなテーマでいろいろな領域の臨床医を取材してきました。

そんなときは本題のお話をうかがったあと何気なく雑談に移ることが多いのですが、そのなかで何度か「ピンピンコロリ」という逝き方について尋ねたことがあります。

これに対して医師からは、「ああ、突然死のことですね」という反応が多かったように記憶しています。

そのうえで、「ピンピンコロリ」を理想の死とする風潮については、
「僕もそれは理想だな」という声もあれば、
「いやー、死んでいく側はそれでいいかもしれないが、あとに残される側に立ってみると、お別れを言う暇もないわけだから、ちょっと抵抗ありますね」
など、賛否両論ありました。

そんななかで、すでに四半世紀前のことになりますが、今もって印象深く残っているのが、当時東京大学の大学院で教鞭をとっておられた大井玄(おおいげん)医師が、「交通事故のような事故死は例外ですが」と断ったうえでのこんな話です。

「ピンピンコロリと言われているような突然死なら苦しまなくて逝けるから、と憧れる方が多いのですが、突然死する原因から考えると、医療が発達した今の時代にピンピンコロリと逝くのは、そう簡単なことではありません」

今の進んだ医療は
瀕死状態でも救ってくれる

高齢になってからの突然死の原因は、心筋梗塞のような虚血性心疾患が最も多く、次いでくも膜下出血や脳出血、脳梗塞といった脳血管疾患です。

このような病気は、今や人間ドックをはじめとする健康診断が普及していますから、「血圧が少し高めですね」とか「LDLコレステロール(悪玉コレステロール)の値が高く、このままでは血管が詰まる危険がありますね」といったかたちで、かなり早い時期に病気の兆候を見つけられることが多いものです。

健診医からこんなふうに言われてしまえば、普通は、即刻病院なりクリニックなりを受診して精密検査を受けるでしょう。

検査の結果、治療が必要となれば、医師の指示のもとに食事療法や運動療法にいそしむことになるはずです。

「ピンピンコロリ」を望んでいても、歳を重ねるにつれて食が細くなり低栄養に陥りがち。低栄養が続けば活動は鈍くなり、「閉じこもり」や「寝たきり」になりがちです。その予防策として、おかずの食べ方の指針となる「まごたち食」を紹介します。

その後は病気の進行に合わせて、薬物療法が加わったり、ときに手術を受けることになったりして、医療と長く付き合っていくことになります。

治療を続ける過程で、心臓発作や脳卒中の発作を起こして心肺停止の状態になることも多分にあり得ます。

仮にそんなことが街中で起こったとしても、あちこちに設置してあるAED(自動体外式除細動器)や救急車で駆け付けた救急医療チームがいのちを救ってくれます。

死を意識したときからの
死に向かう姿勢が逝き方を決める

だからピンピンコロリと逝きたいなら、医療を受けないほうがいいという話ではありませんので、誤解のないように!!

先の大井医師は、当時、東大で教鞭をとりながら臨床医として長野県佐久市で、いわゆる「寝たきり老人」や認知症高齢者の訪問診療を続けておられました。

私が「ピンピンコロリ」を話題にしたとき、大井医師が話してくれたのは、その訪問診療で出会った多くの高齢者の最期の姿でした。

ほとんどの方が、「寝たきり」や「認知症」という言葉からイメージしがちな陰惨なものではく、「おだやかで静かな死」であったと――。

なかには、今にも途切れそうな息をしながら、見守る家族に感謝の言葉を口にするお年寄りもいて、「まさに大往生ですね」と話すことが幾度となくあったそうです。

「自分の死を意識したときから、医療とのかかわり方も含め、どのように死に備えて歩みを進めていくかが逝き方を決めるということを、身をもって教えられた気がしています」

大井医師がしみじみそう語るのを聞きながら、まだ若く少々生意気だった私は、こんな風に思ったことを覚えています。

人生会議で医療の主導権を自分が握る

「そうか、医療の主導権を医療者サイドに渡してしまわず自分で握っていれば、延々と生かされて苦しむこともないだろうし、家族に迷惑をかけることもないだろうから、ピンピンコロリのようにいのちを終わらせることもできるのだろうな」

そのための具体的な方法が、最近になってやっと言われるようになった「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」ということになると思うのですが、いかがでしょうか。

なお、厚生労働省はアドバンス・ケア・プランニングの普及を図ろうと、かねてからその愛称を公募していましたが、2018年11月30日、「人生会議」に決定したことを報告しています。

アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の普及を願い、厚労省はその愛称を「人生会議」に決めました。1人でも多くの人が納得して最期を迎えるためにも、自らの死について気軽に語り合えるようになればとの思いが、この愛称に込められているとか。