「尊厳死」と「安楽死」は明らかに別のもの

医師の必需品

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「安楽死」との誤解を招いた
テレビドラマのなかでの「逝き方」

寿命がきたら、自分らしく尊厳ある死を迎えることができるように、元気なうちに「どこで、どのように最期を迎えたいか」を考え、事前の意思として文書にしておこう、という話を書いてきました。

「延命措置」は一つではありません。いざというときに自分の意思が尊重されるように、希望する措置と拒否する措置を明記し、同時に代理意思決定者を指名した「事前指示書」を準備したい。その一例として『私の四つの願い』を紹介してみました。

折しも、日本医師会会長の横倉義武氏は定例記者会見で、「尊厳死」と一緒に論じられることの多い「安楽死」に関連して、こんな報告を行っています。

自身が会長を務めた世界医師会総会において、「安楽死に関する世界医師会宣言」の改訂が予定されていたものの、結論を出せないまま、次回に持ち越しになったというのです。

今回改訂のポイントとして挙げられていたのは、「安楽死と医師の自殺ほう助は医療倫理の観点から適切ではない」とする現行の方針について、さらなる一歩を踏み出すために変更を求めるカナダとオランダによる提言だったようです。

その提言は、「自国の法律で安楽死が認められている場合、医師が安楽死を行うことは許されるべき」というものだったのですが……。

このようなカナダとオランダの主張には、多くの参加国が否定的で、この先、さらなる議論の積み重ねが必要との結論に至ったのだそうです(日医on-Line 「プレスリリース」による)。

「安楽死」と聞いて、ある訪問看護師さんが話してくれたことを思い出しました。

テレビドラマで描かれているひとりの高齢者の「逝き方」を「安楽死」と誤解した患者さんがいて、訪問するたびに「自分もあんなふうに安楽死させてほしい」と懇願され、どう説得したらいいか困っている、という話でした。

倉本聰脚本の『やすらぎの郷』で
眠るように逝ったドンの最期

そのテレビドラマは、2017年の春、テレビ朝日系列で放映されていた『やすらぎの郷』という帯ドラマです。

脚本家の倉本聰さんが久しぶりに書き下ろされたことで、注目を集めたドラマでした。ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

キャストは、石坂浩二さんを主役に、八千草薫さんや藤竜也さん、浅丘ルリ子さん、有馬稲子さん等々――。かつて大スターとして数々の映画やテレビで主演を務めてきた俳優陣が名を連ねていることでも話題になりました。

『やすらぎの郷』は、テレビ界に功績のあった人だけが無料で入ることのできる、ちょっと高級な老人ホームが舞台になっています。

ホームの創設者は、長年にわたり「芸能界のドン」として君臨してきた大物という設定です。

「安楽死」との誤解が生まれたのは、そのドンの最期のシーンです。

ベッドに横になっているドンが、主人公と息も絶え絶えに、しかしきちんとした脈絡で話をしていたのですが、やがておもむろに右手を顔に近づけて敬礼のかたちをとろうとしたところで力尽き、そのまま静かに息絶えて逝ったのです。

激痛に苦しむでもなく、死への恐怖におののくでもなく、眠るように安らかに逝ったその姿は、芸能界のドンとして多くの人に尊敬されてきた人らしく、誠に見事な死で、羨ましささえ覚えるものでした。

「安楽死」は現時点で、
この国では認められていない

羨ましく思う一方で、「ドラマのなかでの話とはいえ、こんなふうに逝かせてしまっていいのだろうか」と、少々いぶかしく思う気持ちにもなってきました。

なぜならその様子はまさに、「尊厳死」というより「安楽死」に近いもののように、私の目には映ったからです。

この懸念が現実のものになったのは、ドンの最期のシーンが放映された数日後のことでした。

訪問看護をしている看護師の友人から、こんな電話が入ったのです。

「がんの末期で在宅療養を続けている70代の患者さんから、やすらぎの郷のドンのように安楽死をさせてほしいと懇願されて困っている」と――。

この電話を受けてからの小一時間、この患者さんにどのように話したら、あれは安楽死と呼ばれるものではないことをわかってもらえるだろうか、と彼女と話し合いました。

そのやりとりのなかでまず確認し合ったのは、「尊厳死」と「安楽死」は、明らかに一線を画するものであることを理解してもらう必要がある、ということでした。

さらに、現時点でこの国では、たとえ助かる見込みがなく死期の迫った状態にあっても、苦痛から解放するために致死量の薬物などを用いて死を選択する「安楽死」は、法的に認められていないことを説明して納得してもらうべきだろう、という点でも考えが一致しました。

安楽死に見えたのは、
緩和ケアとしてのセデーションでは?

そのうえで、「では、ドラマのなかでのこととはいえ、ドンのあの逝き方は患者さんにどう説明したらいいのだろうか」という話になり、先に進めなくなりました。

これについては、訪問看護師の彼女の、「担当の訪問医に、患者さんがこんなことを言っていたと、ありのままを伝え、先生だったらどう説明するか相談してみたい」という発言で、いったんはピリオドを打ちました。

この後、訪問医から「おそらくあの逝き方は緩和ケアとして行われた強い鎮静剤によるセデーションでしょう」と説明があったようです。

「セデーション」とは、「鎮静」という意味です。

たとえば内視鏡検査などで、患者さんの緊張や不安を軽くするために一時的に軽い鎮静剤を使って意識をぼんやりさせることがあります。

これもセデーションですが、緩和ケアとしてのセデーションは、この鎮静のもう少し深いものと考えたらいいと思います。

詳しくはこちらを。

この国では現時点で安楽死は認められていませんが、混同されがちなのが「終末期セデーション」による逝き方です。意識レベルを下げる薬を使い鎮静を図る治療法で、緩和ケアの最終手段として行われることが多いのですが……。

なお、『やすらぎの郷』は本とDVDに収録されていて、ここで取り上げたドンの最期のシーンはやすらぎの郷 DVD-BOX IIIの「第122話」のなかにあります。

興味を持たれた方は視聴してみられてはいかがでしょうか。