在宅死を望む夫の意向を
受け入れてはみたものの……
「正直、できれば病院に入ってもらいたかった……」
在宅死を望むがん末期の夫の希望をかなえてあげたいと、かかりつけ医と訪問看護師のサポートを受けながら夫の介護を続ける女性が、ふともらした言葉です。
ここ数年の統計を見てみると、高齢者の半数以上が在宅死、つまり人生の締めくくりを住み慣れた我が家でと望んでいます。
しかもその割合は、少しずつですが、年々増える傾向にあります。
しかしこの希望を実現できている人は、希望者の2割にも満たないのが現実とのこと。
家族の同意が得られないとか、看取りまで引き受けてもらえるかかりつけ医が見つからないとか、その理由は様々あるようです。
こうした現状を思えば、家族の同意が得られて希望がかなった彼女のご主人は、数少ない幸せ者ということになるのでしょうか。
どう向き合ったらいいのか
一方で気になるのは、死が間近に迫っている夫のそばにいて、世話をしながら一緒の時間を共に過ごしている妻のことです。
かかりつけ医と訪問看護師の支援に加え、週に何日かは訪問介護サービスも受けていて、日々の介護の面で負担を感じることはほとんどないとは言うのですが……。
⇒「かかりつけ医」を持つメリットをご存知ですか
「ときに夫から、険しい顔つきで答えに窮するようなことを聞かれたり、意見を求められたりして、どう向き合ったらいいのかと途方に暮れることもしばしばです。そんなときです。入院をすすめておけばよかったと、一瞬ですが悔やんでしまうのは……」
彼女がそう話すのを聞きながら私は、少し前に読んだ一冊の本の、とあるフレーズを思い出していました。
死を前にした人が
穏やかな表情になれることを探す
そのフレーズは、訪問診療医として終末期の緩和医療に取り組んでおられる小澤竹俊(おざわたけとし)医師の著書『死を前にした人に あなたは何ができますか?』(医学書院)の「はじめに」のなかにある次の一節です。
死を前にした人に、私たちができることがあります!
それは、その人の顔の表情を大切にすることです。たとえ人は死を前にしても、穏やかな表情で過ごせる可能性があります。
穏やかだと思える理由は人によって異なるでしょう。こちらの世界観で一方的に決めつけずに、一人の人間として、その人の生き方を尊重しながら、穏やかになれる条件を探してみましょう。引用元:小澤竹俊著『死を前にした人に あなたは何ができますか?』
短い一文ですが、じつはここに、終末期ケアの神髄ともいうべきものがすべて凝縮されているように感じています。
そこで私は、彼女にこのフレーズをかいつまんで紹介し、
「よかったら時間を見つけてゆっくりでいいから読んでみて」と、たまたまバッグに入れてあったこの本をお貸ししました。
二人で思い出話をしているうちに
険しかった夫の表情が柔和に
それから数日が経って、彼女からいつになく明るい声で電話がかかってきました。
あの本で小澤医師は、死を前にした人が穏やかになれる条件として、「痛みが少ないこと」「希望の場所で過ごせること」「なるべく家族に迷惑をかけないこと」「お風呂に入れること」「故郷の話をすること」などを例としてあげています。
「あの部分を読んでいて、ひらめいたんです。そういえば二人で初めてドライブした日のことを、以前はよく話しては笑い合っていたのですが、夫が病気になってから話してなかったなって。日光のいろは坂の紅葉がきれいだからと出掛けたのですが、その日はあいにく深い霧がかかっていて、危ない思いをしたこととか、由緒ある日光金谷(かなや)ホテルのレストランで昼食を摂ったのですが、まだ若かった私たちはお財布が寂しくて、メニューを見て一番安いカレーで我慢したこととか」
二人であれこれこのときの思い出話をしているうちに、険しかった夫の表情が徐々に柔和になり、「金谷ホテルのレトルトカレーがあれば食べてみたいね」と言い出したのだと……。
長い沈黙が続くときは……
彼女がもう一点関心を持って読んだのは、「沈黙」について書かれた部分だと言います。
日中は何かと人の出入りもあって彼女としては気も紛れているのですが、辺りが少しずつ暗くなりはじめ、二人きりのまま「沈黙」の時間が続くのがつらかったそうです。
ところが、この本から、沈黙は、相手がなかなか口に出せないでいることを言葉にして吐き出してもらうためには必須のものなのだと学んだことで、ご主人が黙り込んでいても、あれこれ考えないでいられるようになったと言います。
そのうえで、こんな話もしてくれました。
「あまり長い沈黙が続くときは、本に書いてあることをヒントに、『今、どんなことを考えているの?』と聞いてみたところ、『いやあー、たいしたことではないが、実はね……』と言葉が返ってくるようになったんですよ」
このほかにも、彼女にとって「なるほど」と合点のいくヒントがたくさん詰まっていると聞き、「よかったら、ご主人のお見舞いとあなたへの応援の気持ちから、その本差し上げるわ」となった次第です。
彼女と同じような悩みを抱えておられる方には、おすすめしたい一冊です。