人生会議(ACP)は脱水と点滴の話で始まった

シワのある手

人生会議(ACP)は
気軽に話せる話題から

「もしものときのこと」を含むこれからの生き方について、患者さん本人と家族、そして医師ら医療や介護のスタッフらと話し合うアドバンス・ケア・プランニング(ACP)の試みが、徐々に広がりつつあるようです。

厚生労働省が「人生会議」という愛称をつけた、あの取り組みです。

この愛称の名付け親である現役看護師の須藤麻友さんは、「人生会議」という愛称に込めた思いを、こんなふうに語っていました。

「家族と食卓を囲みながら話題にできるくらいアドバンス・ケア・プランニングが身近なものとなり、広く浸透していったら」と――。

アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の普及を願い、厚労省はその愛称を「人生会議」に決めました。1人でも多くの人が納得して最期を迎えるためにも、自らの死について気軽に語り合えるようになればとの思いが、この愛称に込められているとか。

「食卓の場で気軽に……」という須藤看護師の気持ちはわからないでもないのですが……。

自分の死に際の話を日常会話のなかで家族と話題にするのは、実際のところそう簡単にできることではないだろうな、とは思っていました。

ところが、懇意にしていただいている開業医の先生から、「なるほど、こういった身近な話から始めれば、無理なく自分の終末期のことを話題にできるかもしれない」と、いたく感心させられる話を伺いました。

今日はその話を紹介しようと思います。

娘が父親の脱水を心配したのが
人生会議(ACP)のきっかけに

ちょうど10連休に入る前のある日のこと――。

脳卒中の後遺症による軽い片麻痺(「かたまひ」とも「へんまひ」とも読む)で自宅療養中のM氏宅を訪問すると、いつもは奥さんと二人なのに、珍しく娘さん夫婦がお孫さんを連れて訪れていたのだそうです。

「明日になると車が渋滞して大変だから、1日前倒しで休暇をとって来ました」「ああ、それは賢明ですね」――。

そんなたわいもない話をしばらく交わし、一息ついたところで娘さんが、遠慮がちにこんな質問をしてきたのです。

「これから夏に向かうと、熱中症のことが心配になってきます。母の話では、父は夜中にトイレに起きることを気にしてか、自分からは水分をあまり摂りたがらないようです。脱水にならないように、夏の時期だけでも点滴をしていただくわけにはいきませんか」

これを受けて、「ご本人はどうでしょう。点滴を望まれますか」とM氏に尋ねたそうです。

すると、「いやあ、ようやく自宅に戻ることができていろんな治療から解放されたところなのに、また点滴に縛られるなんてご免です」と、即座に拒否する答えが返ってきたとのこと。

ところがこれに娘さんが、「えっ、点滴がいやだって、脱水になってもいいの?」と、少しきつい言葉で返したのですが――。

実はこのやりとりをきっかけにして、「もしものときにどうしてほしいのか」という話へと発展していったようです。

少々のシワは歳相応と
点滴を望まない父親

「脱水になったらシワシワになってしまうだけじゃないのよ。からだの代謝がうまくいかなくなるから、意識を失ったりいのちに危険が及ぶことだってあると聞いているわよ。ホラ、熱中症で倒れて救急車で病院に運ばれても亡くなる方って、脱水症が原因でしょ」

娘さんは、なんとしても父親に点滴を受けてもらいたいようで、説得に必死です。

対してM氏はと言えば、むしろ娘さんをなだめるようにこんなふうに話したと言います。

「もう父さんは85を過ぎているんだよ。入院中に、終日点滴につながれている患者さんを何人も見てきたが、水分が多すぎるのか、顔や手足がむくんでいる人が多かった。むくみでぶよぶよになるより、少々シワが目立つくらいのほうが歳相応ってもんだろう?」

二人のやりとりを黙って聞いていた奥さんが、娘さんを諭すようにこんなふうに話したことで、話はひとまず終わったと思ったそうです。

「心配しなくて大丈夫よ。スープとか、お茶とか、果物も多めに用意して、水分を摂ってもらうようにするから。なるべく午前中に摂るようにすれば、夜中にトイレに起きることもないでしょうからお父さんだって安心でしょ」と――。

自然のまま逝きたいと
語り始めた父親

少しの間をおいて、娘さんが意を決したような表情でこう切り出したのだそうです。

「私は一人っ子だから、お父さんが元気なうちに聞いておこうとずっと思っていたの。今日はお世話になっている先生もいらっしゃるから思い切って聞くけど、今の話から察するに、お父さんは、自分が万が一のときは、延命治療といわれるようなことはいっさいしないで、自然のまま静かに逝きたいということかしら」

「そうだね。延命のための治療をやりだしたらキリがないって聞くからね。退院してきてすぐに母さんとも話したんだが、自然死とか平穏死って言われてる逝き方ができたらと、考えているんだよ。父さんの部屋の本棚に、先生にすすめられて読んだ平穏死について書かれた本があるから、おまえも読んでみてごらん……」

この段階では、娘さんはまだ本心からは納得できてはいないようです。

しかし「ひとまず難問はクリアした」と開業医。続けてこう語っています。

「どんなことにも言えることですが、希望は、口にして相手に伝えないことには実現しませんからね。事前指示とか、人生会議といわれていることは、こんなふうに、ちょっとしたことをきっかけにして、もしものときにこうしたいという自分なりのこころづもりを家族に伝えることから始めたらいいと思っているんですよ」

なお、M氏が娘さんにすすめたのは、「無理にいのちを延ばさずに、自然にまかせてできるだけ穏やかに人生を終わりたいと思っているのですが……」とM氏から相談を受けた際に、「急いで決めなくて結構ですから、まずはこんな本でも読んでみたらいかがですか」とすすめた本とのこと。

それは、石飛幸三医師著の『穏やかな死のために ―終の住処 芦花ホーム物語』(さくら舎)だそうです。

人生会議の短編ドラマもあります

家族と人生会議をはじめるきっかけやその進め方などについては、横浜市が啓発のために作成した人生会議の短編ドラマ2編が参考になります。詳しくはこちらを。

新型コロナウイルスの感染拡大が影響しているのか、自分のいのちの終わりを意識して終活に取り組む人が増えている。ただしその終活は、いわゆる身辺整理のレベルで終わることが多い。そんななか横浜市は、短編ドラマを作成して「人生会議」の大切さをアピールしている。