千葉敦子さん曰く
「死を考えることは、生き方を考えること」
テーマに挙げた『よく死ぬことは、よく生きることだ』は、千葉敦子(ちばあつこ)さんの遺作となった著書(文藝春秋)のタイトルです。
「千葉敦子さん」と聞いて、即座に「ああ、あの女性ね」と思い出されるのは、おそらくは50代後半以降の方に限られるのではないか、と思っていました。ところが、改めてネット検索をしてみると、さにあらず……。
タイトルに魅かれてこの本(文庫本も刊行されています)を読んだという30代前半や40代とおぼしき方が少なからずいて、私としてはちょっと感動しました。
この本で千葉さんがテーマとしているのは、「再発を繰り返すがん患者の闘病姿勢」、今風に言えば「がんサバイバーシップ(がんと向き合ってともに生きること)」であり、その延長線上にある「がん患者の死への準備」です。
いずれのテーマも、自分自身や身内などの親しい人が直面しないかぎり、普通はあまり考えない、できれば避けて通りたいと思う話題ではないでしょうか。ところが30代や40代の若いうちから、「死ぬ」こと、それも「よく死ぬ」ということに関心を寄せている人が少なからず存在するということに、心動かされたのです。
なぜなら、千葉さんがこの本の中で、そしてほかの著書でも繰り返し述べていることですが、「死について考えることは、生き方を考えること」だからです。
単身ニューヨークで
再々発がんの治療と仕事を両立
ちなみに、千葉敦子さんは、1980年代、和暦で言えば昭和の後半に目立って活躍されたフリーランスの女性ジャーナリストです。残念ながら、1987(昭和62)年にニューヨークで亡くなっています。享年47歳という、あまりに早すぎる死でした。
千葉さんの「がんと生きる」生活は、まず東京で始まっています。1981(昭和58)年に乳がんの切除手術を受け、この手術から10カ月後には、乳房を再建する手術も受けています。
その後、まず再発はない、との医師の判断もあり、かねてから計画していたニューヨークへの移住プランを着々と進めていた、その最中にがんが再発――。1983(昭和58)年の夏には、放射線治療を受けています。
この治療を終えたこの年の年末には、かねてからの計画を断行し、単身でニューヨークに引っ越しをしています。
その後、長年の夢だったというニューヨークでの生活をスタートして半年ほどが過ぎた1984年の夏、がんが再々発しています。普通だったら、(少なくとも私は)、日本に飛んで帰りたくなるところです。
ところが、千葉さんはそのままニューヨークにとどまり、そこで放射線治療と抗がん剤による化学療法を受けています。
その後の、がん治療とジャーナリストとしての活動を見事に両立させた千葉さんの、かっこいい生き方は、『ニューヨークでがんと生きる』(文春文庫)に詳しく書かれています。関心のある方は、是非一度読んでみてください。
よく死ぬために、
最後までどう生きるかを考える
ところで、千葉さんが「がんと生きた」当時の日本におけるがん患者本人への病名告知率は、20パーセントにも満たない状態でした(厚生労働省全国遺族調査1993による)。多くのがん患者が、自分ががんであることを知らないままに治療を受けていたのです。
仮に病名を知らされていても、自分ががんであることをひたすら隠して、独り悩みながら生活している人が多かったように思います。
そんななかにあって、自分ががんであることを隠さずに堂々と公表し、単身ニューヨークに渡った千葉さんの前向きな生き方に、私は強く惹かれました。同時に、千葉さんがいくつもの著書のなかで繰り返し述べている「よく死ぬ」とは、どのような死に方なのだろうかと、ずっと考えてきました。
私は看護師のライセンスをもってはいるのですが、臨床で働くことがあまり得てではありませんでした。そこで、千葉さんに憧れる気持ちが強い動機ともなって、これまでの四半世紀を、医療現場を舞台に取材しては記事を書くという仕事を続けてきました。
この取材を通して、医師や看護師をはじめとする医療スタッフの皆さんが、患者さん一人ひとりの「個性」とか「価値観」「その人らしさ」といったことを常に尊重しながらかかわっていることを知りました。
それは、患者さんのいのちが終わろうとしている場面にあっても同じでした。彼らは、その人が生きてきたそのままに「その人らしいいのちの終わり方」ができるようにと、プロとして最善を尽くしているのです。
ひるがえって、ではその医療やケアを受ける側にいずれ立つであろう自分は、千葉さんがいうところの「よく死ぬ」、つまり「自分らしい尊厳ある死に方」をするために、どんな備えをしておけばいいのだろうか、と自問します。
この先は、この行きつ戻りつの自問を綴っていきたいと思います。