痛みや苦痛はできるだけ抑えてほしい




痛みのコントロール

苦痛の緩和治療・ケアを受けて、
心身ともに穏やかに過ごしたい

自分のいのちの終わりが近づいた、いわゆる「終末期」において、受けたい医療やケア、あるいは拒否したい医療やケアについて尋ねるアンケート調査が、最近頻繁に行われています。

調査対象は、シニア世代と呼ばれる60歳以上の一般人に限ったものが多いものの、なかには年齢幅をさらに広げて40歳以上としたものもあれば、医師や看護師など医療従事者に限定しているものもあります。

これらの調査結果を見てみると、一般人か医療従事者かに関係なく、また年齢や性別にも関係なく、ほぼ半数、調査によってはそれを超える人たちが、「治る見込みがないのであれば、延命だけが目的の治療は受けたくない」と回答しています。

その一方で、「痛みをはじめとするあらゆる苦痛」については、7割から8割の人が「できるだけ取り除いてほしい」、あるいは「必要なら鎮痛薬や鎮静剤を使って苦痛をやわらげてほしい」と回答しています。

死期が迫ったときにいっさいの治療を中止してしまうのではなく、苦痛の緩和に重きを置いた治療やケアを受けて、心身ともに穏やかな状態で最期の時間を過ごしたい――。
多くの人がそんなふうに願っていることがうかがえる調査結果となっています。

苦痛をやわらげる薬により、
意識が薄れることへの懸念

アンケート上の話はともかくとして、実際のところはどうなんだろうと思い、先日知人仲間との飲み会の席でこの話を持ち出してみました。
ちなみにこの席にいた仲間は、全員が医療や福祉とは一切関係のない仕事に就いています。

私の質問に返ってきた答えは、やはりアンケート調査で出された結果とほぼ同じで、5人中4人が「苦痛だけはとってもらいたい」というものでした。

そんななかで1人だけ、「僕はできるだけ自然に最期を迎えたいと思っているから、ある程度痛みがあっても薬は使いたくない」と言い出したのには、ちょっと驚きました。

これを聞いた仲間の1人が、
「自然のままスーッと逝けたら理想だけれど、痛みがあれば、七転八倒とまではいかないまでも、つらくてとても自然のままとはいかないだろう」
と指摘したのに対し、彼はこう返してきました。

「確かに強い鎮痛薬を使えば苦痛は治まって楽になれるだろうけど、同時に意識がぼんやりしてくるようなこともあるだろうし、使う薬によっては呼吸に影響が出ることも珍しくないって聞くから、それはちょっと避けたいと思うんだよね」

彼がこう話すのを聞いていて、「ああそうか」と気づかされたことがあります。

鎮静薬によるセデーションは、
苦痛を緩和する最終手段

先日、倉本聰さんの脚本による『やすらぎの郷』というテレビドラマで、登場人物の一人で「芸能界のドン」と呼ばれていた男性が息を引き取るシーンを見て、安楽死と勘違いした高齢者の話を書きました。
緩和ケアとしての「セデーション」と「安楽死」

結局は、安楽死ではなく「セデーション」と呼ばれる鎮静法だろうという話になったわけですが、終末期に薬を使って苦痛を緩和するという話になると、すぐにこのセデーションに結びつけてしまう人が多いように思います。

しかし、強い鎮静薬(麻酔薬)を使って意識レベルを落とすことにより苦痛を緩和するというセデーションは、あらゆる手段を試みても苦痛を軽減することができない場合に限り、最終最後の手段として行われる方法です。

事前のインフォームド・コンセントで、
説明を受け、納得しておく

セデーションを開始すれば、本人との意思疎通は難しくなり、多くの場合そのまま死へと向かうことになります。

そのためセデーションの実施は、意識がはっきりしている状態のときに、本人がセデーションを受けるという意思表示をしていることが大前提となります。

しかもその意思を確認するために行われるインフォームドコンセントでは、「残された時間があまりないこと」や、「薬を使って眠ることでしか今の苦痛を緩和することができないこと」を、患者本人や家族にきちんと伝えることが、医師には求められます。

緩和ケア技術の進歩により、末期がんの苦痛といえどもかなりのところまで取り除くことができるようにはなっています。
しかし、苦痛の度合いが耐えがたくなるほどに甚大で、「意識を保ったままで苦痛を緩和することはできない」と判断される例もまれならずあるようです。

意識レベルが落ちるセデーションは、このような状態のときにのみ検討される方法であることを知っておくと、痛みや苦痛の治療・ケアを安心して受けることができると思うのですが、いかがでしょうか。
セデーションについてさらに詳しく知りたい方は『終末期の苦痛がなくならない時,何が選択できるのか?: 苦痛緩和のための鎮静〔セデーション〕』(医学書院)が参考になります。