「ピンピンコロリ」で逝けたら理想的ですが……
「ぽっくり寺」を参拝する年配者が跡を絶たないと聞きます。「ピンピンコロリ」悲願者の多さがうかがえるものの、医療の発達によりかなりシビアないのちも救われている現状を思うと、「ピンピンコロリ」はそう簡単ではないと思えてくるのですが……。
女優の樹木希林さんの死は見事でした。どうすればあのような終わり方ができるのか――。終末期における医療・ケアの受け方を中心に、我が事として考えたあれこれを、綴ってみたいと思います。
「ぽっくり寺」を参拝する年配者が跡を絶たないと聞きます。「ピンピンコロリ」悲願者の多さがうかがえるものの、医療の発達によりかなりシビアないのちも救われている現状を思うと、「ピンピンコロリ」はそう簡単ではないと思えてくるのですが……。
口から食べられなくなったときの水分・栄養補給に点滴を使う方法があります。末梢静脈、あるいは心臓に近くて太い中心静脈を使う方法があり、栄養分を持続補給したいときは後者が選択されます。ただしこの方法には、腸管を使わないためのデメリットが……。
口から食べられなくなったときに受けられる人工栄養の一つに鼻チューブによる方法があります。胃ろうのように手術の必要はないものの、「外見を損なう」「のどの不快感が続く」などマイナス面も。また、自ら引き抜くリスクがさらなる問題を招くことも……。
口から食べられなくなったときの栄養補給に、胃ろうによる方法があります。胃ろうを作る手術が必要ですが、その後は安定して栄養補給できるのがメリット。ただ、この方法には、延々と栄養を補給されて生かされ続けることへの懸念もあり、選択に迷うところです。
終末期になり口から食べられなくなると、胃ろうや鼻チューブ、点滴による人工的栄養に切り替えることになりがちです。しかし、その方法で栄養を補給しても回復の見込みがないときは、「自然にゆだねる」選択もあります。今回はその話を書いてみました。
高齢になると「口からおいしく食べること」が生きる楽しみにもなるのですが、その楽しみが嚥下障害などにより奪われると、心身両面にさまざまな弊害が生じてきます。そうした事態を避けようと、人工的な栄養補給が検討されることになるのですが……。
一口に「延命治療」と言っても、明確な定義があるわけではありません。状況によっては「延命治療」が「救命治療」になることもあれば、その逆もあるのが事実。それだけに、本人の意思確認ができないときの医師の深刻な迷いについて紹介します。
わが国には、末期がん患者を主な対象に考えた「ホスピス」ならぬ「緩和ケア病棟」があります。ここでは、心身の苦痛を和らげて平穏な気持ちで過ごすことができるように、ホスピスの精神に裏付けられた緩和ケアが行われています。今回はその紹介を。
日本人の8割が「自宅死」を望みつつも病院で亡くなっているのが現実です。ただ、延命治療を希望しない風潮の高まりに伴い、自宅や介護施設で最期を迎えたいと願う人が増加し、介護スタッフが看取りに取り組むようになった、という話を紹介します。
この国では65歳以上の高齢者のほぼ6人に1人がひとり暮らしです。彼らの多くは「孤独死だけは避けたい」と考え、自宅で最期を迎えることは諦めがち。でも、元気なうちから準備さえしていれば在宅死も可能であることを書いてみました。
石飛幸三医師の『平穏死のすすめ』がベストセラーになって以降、「平穏死」という言葉が「尊厳死」と同義語のように使われています。高齢者には延命治療はやめ、苦しまず、穏やかに最期の時間を過ごしてほしいとの願いが込められているのですが……。
命の終わりを見据えたこれからの生き方、特にもしものときにどうしたいかは、話題にしにくい。人生会議において、家族や医療スタッフとそのことを気軽に語り合うツールとして、医師らが開発した余命半年を体験するゲーム、「もしバナゲーム」を紹介する。
この国では現時点で安楽死は認められていませんが、混同されがちなのが「終末期セデーション」による逝き方です。意識レベルを下げる薬を使い鎮静を図る治療法で、緩和ケアの最終手段として行われることが多いのですが……。
あるテレビドラマで描かれた「逝き方」を見た患者から、「あんなふうに安楽死をさせて」と懇願され、困った訪問看護師さんの話を紹介します。尊厳死と安楽死はまったく別のものであり、この国で安楽死は法的に認められていないのですが……。
「自分の人生をどう締めくくりたいか」を事前の意思として表明していても、最期のときにその意思が尊重されないこともあります。そんな事態を避けようと、今医療現場で「アドバンス・ケア・プランニング」という取り組みが始まっていることを書いてみました。